昭和52年10月 |
山形県高等学校文化連盟が設立された。全国では6番目、東北地区では最初の結成である。事務局を県高校長会事務局に置き、笠原二郎山形西高校長が初代会長に選任された。
加盟73校(県立校54校、市立校2校、私立校14校、特殊学校3校)5専門部(合唱、美術、書道、演劇、ブラスバンド)で発足する。 |
昭和52年11月 |
第1回山形県高等学校芸術祭が米沢市民会館で開催される。公演部門(演劇・合唱・吹奏楽)以後、田川、村山、最北、飽海の5地区輪番で開催することとなる。 |
昭和53年 9月 |
第2回山形県高等学校芸術祭が鶴岡市民文化会館で開催される。公演部門に美術・書道の展示部門が加わった。山形県高等学校芸術祭開催要項を制定する。 |
昭和54年 6月 |
第2代会長に誉田慶恩山形西高校長が選任され、以後、会長所在校に事務局を置くこととなる。 |
昭和54年11月 |
新聞、科学専門部が加盟し7専門部となる。 |
昭和55年 4月 |
生徒表彰規程を制定する。 |
昭和56年 4月 |
山形県高等学校芸術祭実行委員会規約を制定する。 |
昭和59年 2月 |
専門部設置規程を制定する。管弦楽専門部を加え8専門部となる。 |
昭和61年 2月 |
全国高等学校文化連盟が設立される。 |
昭和63年 2月 |
放送専門部が加盟し、9専門部となる。 |
平成元年 4月 |
第5代会長に渡辺宏山形北高校長が選任され、事務局を山形北高校に移す。 |
平成 2年 4月 |
管弦楽専門部にマンドリン部を附設する。 |
平成 4年 2月 |
県高等学校芸術祭を県高等学校総合文化祭と名称変更する。 |
平成 4年10月 |
東北六県高文連会長会議にて懸案事項であった、平成11年全国高校文化祭の開催県として、山形県を推薦することが決定した。 |
平成 5年 6月 |
第1回全国高等学校総合文化祭準備委員会設立会議を開催する。
全国高文連会長あて「平成11年度全国高等学校総合文化祭開催申請書」を提出する。 |
平成 6年 2月 |
地区高文連を整備し、各校に学校代表理事を置くなど組織を改正する。また、会費を値上げし財政基盤を確立する。以後、未設置専門部を早期に設置し専門部の拡充につとめる。 |
平成 6年 5月 |
全国高文連評議員会にて平成11年度開催県として山形県が内定する。 |
平成 6年 9月 |
第2回理事会にて県高文祭の見直し(開祭式の形式の変更)が決定される。 |
平成 6年11月 |
東北地区高等学校文化連盟設立理事会を青森県で開催する。 |
平成 7年 2月 |
囲碁、日本音楽、将棋専門部が加盟し、12専門部となる。 |
平成 7年 5月 |
マーチングバンド・バトントワリング専門部が加盟し、13専門部となる。 |
平成 7年10月 |
第19回県高総文祭最北大会より、開閉祭式を統一テーマによる総合舞台とする。 |
平成 8年 2月 |
写真、郷土芸能、小倉百人一首かるた、弁論、吟詠剣詩舞専門部が加盟し、18専門部となる。 |
平成 8年 4月 |
理事制を導入し、宝崎幸雄山形北高校教頭が初代理事長に就任する。 |
平成 8年 7月 |
山形県高等学校文化連盟マークを決定する。 |
平成 9年 2月 |
茶道専門部が加盟し、19専門部となる。県高総文祭の閉祭式は、各部門で行うこととする。 |
平成10年 2月 |
文芸、華道専門部が加盟し、21専門部となる。 |
平成11年 4月 |
県高等学校総合文化祭開催基準要項、実行委員会規程、実行委員会事務局規程を制定する。 |
平成11年 7月 |
第23回全国高等学校総合文化祭山形大会が開催される。 |
平成17年 2月 |
表彰規程及び同実施要綱を制定する。 |
平成19年 6月 |
山形県高等学校文化連盟公式ホームページを公開する。 |
平成20年 2月 |
『高文連30周年記念誌』発行 |
平成21年 5月 |
全国高等学校文化連盟に自然科学専門部が設置され、本県科学専門部も加盟する。 |
平成22年 2月 |
平成22年度より、教職員からも会費を徴収することを決定し、財政基盤を確立する。 |
平成29年 4月 |
平成29年度より、田川・飽海を庄内地区とし県内4地区での運営となる。 |
平成29年 5月 |
全国高文連定時総会にて、平成31年度全国高文連研究大会開催県として山形県が内定する。 |
平成30年 2月 |
『高文連40周年記念誌』発行 |
令和元年12月 |
第31回全国高等学校文化連盟研究大会山形大会が開催される。
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